明治10年(1877)、イギリスから一人の若い建築家、ジョサイア・コンドル(1852-1920)が、お雇い外国人として明治政府に招かれ、来日しました。コンドルは、日本に本格的な西洋建築を建てたいという明治政府の意向のもと、工部大学校造家学科(現・東京大学工学部建築学科)で教鞭をとりつつ、鹿鳴館や上野博物館を始めいくつもの国家的プロジェクトの設計に携わりました。
その後、明治21年(1888)に民間建築事務所を開設すると、ブルジョアジーの邸宅建築家として才能を花咲かせ、岩崎久弥茅町本邸(重要文化財)や綱町三井倶楽部など優れた住宅作品を数多く残しています。
コンドルは、西洋の様式を導入するばかりではなく、日本とヨーロッパの中間点であるサラセン様式を取り入れたり、和と洋の折衷を試みたりしています。それは、日本の風土や歴史・文化にふさわしい建築様式を求めてのことでした。
彼がこうした造形志向を抱いた背景には、日本の文化を積極的に学ぼうという姿勢があったからだと考えられます。コンドルは、設計のかたわら日本画・日本舞踊・歌舞伎・花道・日本庭園・日本の服装などの日本趣味に親しみ、また研究を進めました。それは日本画家河鍋暁斎に師事して、「暁英」と号し、Paintings and studies by Kawanabé Kyōsai(邦題『河鍋暁斎』)という本を出版するほどでした。彼が発表した論文や著作は、当時の欧米人による日本研究の中では最高水準のもので、ヨーロッパにおける日本研究に大きな影響を与えました。
京都大学はコンドルの建築図面を多数所蔵しており、平成18年(2006)には重要文化財の指定を受けました。丁寧に描き込まれ彩色された図面は歴史的、かつ美術的価値を備えています。
(解説の出典: 「日本文化に見た夢お雇い外国人建築家コンドル先生重要文化財「ジョサイア・コンドル建築図面」 : 平成21年度京都大学図書館機構公開企画展」)
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