維新資料文庫は品川弥二郎子爵が創設した尊攘堂旧蔵の維新資料の収集である。子爵の歿後攘堂尊保存委員会より尊攘堂所蔵品総数984点内維新資料554部2,169冊を明治33年(1900)本館に寄贈された。
尊攘堂は吉田松陰の遣志に基ずいて創設せられたものである。従ってその蔵品構成の根幹が松陰の書翰、上書、稿本等の遺墨、およびその類縁資料であることはいうまでもないが、松下村塾の俊英、高杉晋作、久坂玄瑞、木戸孝允、山県有朋等の墨蹟遺品も豊富である。しかしこの文庫は単に長州出身の志士の自筆文献の収集に止まらず、広く日本全土にわたり、その階層も皇族、藩主より微録の士に至るまで、身分の如何を問わず、その遺品書跡はおよぶ限り網羅されている。地域的にも階級的にも広く深く採取したこの収集は、幕末志士の思想、学術、行実等を窺知する恰好の伝記資料であると共に、維新史を闡明する最も有力な資料であるといえよう。
個人的伝記資料の他に歴史的事件を物語る文書記録も、この文庫には多量に収容されている。「奇兵隊日記文久3年至明治2年」「奇兵隊寄合書」は元治元年英仏米蘭四国軍艦の下関砲撃と、慶応2年の小倉戦役等における山口藩奇兵隊の活動を記録した原本である。また「三藩盟約書草案」は薩長芸三藩協議の結果決定した盟約書である。この盟約がなって終に討幕の内勅が下され、王政復古の端緒が開かれたのである。この盟約書は大久保利通の自撰自筆であって、「奇兵隊日記」と共に維新史上に貴重な地位を占め、その価値は極めて大きい。
松蔭の歿後松下村塾の塾生は写本料を持寄って塾を維持し、さらに有事の日に備えることを誓ったが、この間の消息を伝えるものに「松下村塾一燈銭申合帖」がある。また文久2年(1862)寺田屋の変に坐して福岡の獄に幽囚された平野国臣が、獄中で筆墨の使用を禁ぜられたため、紙𦁤を以て情懐を託した「平野国臣紙𦁤文字詩歌」等は、困苦欠乏を克服して、軒昂たる意気を示す先賢諸士の風貌をほうふつせしめるものがある。
(解説の出典: 京都大学附属図書館編「京都大学附属図書館六十年史」第3章第3節)