火ウチ次第
火ウチ次第

島田文庫は明治時代の仏教学者島田蕃根が島田家伝世の文書記録に、蕃根自身の収書を加えた、図書480点よりなる修験道文献の特異な集成である。

本文庫の根幹は島田家累代の修験道文書、または記録であるが、斯道に関する典籍も含まれている。文献以外の器物は鈴懸、錫杖、笈、法螺貝、頭巾等の修験道修行に用いられる法具、または講式、行事等に供せられる什物、あるいは役行者をはじめとしてその他の先達者の木像等、珍貴な逸品が収蔵されている。

文治4年(1185)筆の「火ウチ次第」の如き類例稀れな古記録も見出されるが、その他はほとんど徳川期の筆写文献である。わずかに昌安撰の「修験問答儀」天文19年(1550)筆「伊都伎大願寺鐘銘」永録3年(1560)筆、光栄撰「十二道具」天正19年(1591)筆が、室町期の文献として挙げることができる。

刊本は資料的価値においても、あるいは好書的趣味においても、筆写文献に比してはるかにおとり、その数も少ない。またその成立年代においても、正保2年(1645)刊行の「資道什物記」が最古の刊本で、文治4年(1185)に遡る「火ウチ次第」には遠く及ばない。天和4年(1684)刊行の「資道什物記」正保2年版の重印本が、正保2年刊本に続き、その他の刊本はすべてそれ以後のもので、明治41年刊行の「英彦山案内」が最も新しい。

文書記録および書籍のほとんどは作者自身の原典であるが、特に「彦山順峰四十八次第」「峰中相伝」「山伏二字義」「修験護摩口決」等は修験道の核心に触れる秘籍であろう。

本文庫は蕃根の嗣子、元陸軍軍医乾三郎氏が昭和14年10カ年を限り寄託し、斯学研究者の利用に供したものであるが、昭和24年寄託契約が満期となり、その解約の際同氏より購入したものである。

本文庫の旧蔵者島田蕃根は文政10年(1927)周防の徳山に生れ、明治40年(1907)京都で81歳をもって病歿した。蕃根は18歳の時既に天台宗本山派の修験道の法印に叙せられていた。更に三井寺において仏教学を修め、仏教各宗の要義に通じたと伝えられるが、明治の初頭に還俗して、毛利の藩校興譲館の教授となった。明治12年「大蔵経」縮刷の刊行を企てて、福田行誡と相はかって弘教書院を興し、五カ年の日子を費し終に「縮刷大蔵経」40帙419冊出版の大事業を完成した。また蕃根は仏教典籍のの散逸を惜んで、その収集につとめ、よくその保存を計ったことでも有名である。

(解説の出典: 京都大学附属図書館編「京都大学附属図書館六十年史」第3章第3節)
 

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