京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 承久記

《この作品について》


承久記 じょうきゅうき - 鎌倉時代


 『承久記』は、鎌倉時代初期、朝廷と幕府の対立から発展し、承久3年(1221)に起こった戦乱、承久の乱について書かれた軍記です。成立は鎌倉時代初期、事件からそれほど時を経ないころと思われ、作者は未詳です。
 承久の乱とはどのような戦いだったのでしょうか。
 鎌倉時代になり、世の中は武士が中心の時代になります。朝廷は、常々それを不満に思っていました。やがて武士と朝廷との掛け橋となっていた将軍・源実朝が、何者かに暗殺されてしまいます。これを機に、武士 vs 朝廷の対立が表面化し、後鳥羽院は実権を朝廷側に取り戻すため、鎌倉幕府の倒幕を決意します。
 後鳥羽院は、幕府に不満を持つ各地の武士を集め、承久3年5月、当時実権を握っていた北条義時を討てという院宣を出し挙兵します。その知らせを聞いた義時や、姉の北条政子は、武将を集め、大軍で京へ出陣します。後鳥羽院の軍は防戦しますが、義時の軍に撃破され、わずか 1 ヶ月あまりで敗走します。後鳥羽院は隠岐へ流刑となり、朝廷側についた武士たちもほとんどが処刑されました。
 『承久記』では、この史実に基づきつつも、北条義時を好意的に、後鳥羽院をおとしめて描いていることから、本作の作者は幕府側に近い立場を取っていることがわかります。双方の武士たちの活躍が多く描かれていますが、中でも、幕府側についた兄三浦義村と朝廷側についた弟三浦胤義の、兄弟でありながら敵味方に分かれて戦わねばならなかった三浦一族の物語に多く筆が費やされています。

 

承久記(谷村文庫) 冒頭
承久記(谷村文庫)冒頭
「百王八十二代ノ御門ヲハ後鳥羽院トソ申ケル。隠岐国ニ隠レサセ給シカハ隠岐院トモ申ス」

 

《画像&資料について》

 上の画像は、谷村文庫に所蔵されている『承久記』です。上下2冊、元和4年(1618)刊の古活字版です。古活字版とは、近世初期までに出された活字本のことをいいます。日本では、奈良時代以降、印刷様式は一枚の版木に絵や文字を彫って刷る整版のみでした。桃山時代になり、西洋の印刷技術や、文禄の役による朝鮮からの印刷技術が導入されます。特に、朝鮮の印刷技術からの影響を大きく受け、日本でも約 50 年間は活字印刷が整版を圧倒します。その後、本の需要が増え、発行部数が多くなるにつれ、活字印刷では対応できなくなり、再び整版が主流となってゆきます。文化史上、古活字版の何よりも大きな意義は、写本によってのみ伝えられていた『竹取物語』や『伊勢物語』『万葉集』など、多くの古典が活字印刷化され、読者層を広げたということです。古活字版の『承久記』は、流布本と呼ばれる一種で、これまで写本で伝わっていた本をもとにして、『平家物語』や『吾妻鏡』などを参考にしながら、記事の正確さをはかり、文章を整えたもので、一般的に『承久記』の話はこの本の形で知られています。

●[承久記 上下・谷村文庫(古活字版)]

 

《もっと知りたい》

【関連書籍】
保元物語 . 平治物語 . 承久記(新日本古典文学大系)
史伝後鳥羽院 / 目崎徳衛著

 

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