京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 十六夜日記

《この作品について》


十六夜日記 鎌倉時代


 『十六夜日記』は、弘安 2 (1279) ~ 3 (1280) 年、阿仏によって書かれた日記です。
 阿仏は、藤原為家の妻でした。建治元年 (1275) 、為家が没すると、その遺産である播磨国細川庄の土地所有権をめぐって、為家と阿仏との間に生まれた為相と、為家の長男の為氏 (為相とは異母兄弟) との間に争いが起こります。生前、為家は、当初為氏に譲るつもりでいましたが、のちにそれを撤回し、為相の方に譲るという譲り状を出していました。しかし、為家の没後、為氏は自分の領有権を主張し、細川庄を為相には渡しませんでした。そこで、為相の母である阿仏が、この件を幕府に訴え審理してもらうために、鎌倉へ向かいます。
 本作は、その道中の日記と、鎌倉滞在中の日記との二部から成っています。阿仏が旅立ったのが、弘安 2 年 10 月 " 16日 " のことだったので、『十六夜日記』という名前がつけられました。単なる記録だけではなく、歌人でもあった阿仏らしく、道中の名所を詠んだ歌や鎌倉滞在中に贈答した歌など、和歌が多く記されています。

 

いさよいの記(谷村文庫) 冒頭。
いさよいの記(谷村文庫)冒頭。
「むかし壁の中より求め出でたりけんふみの名は、今の人の子は夢ばかりも身のうへの事とは知らざりけりな......」



《画像&資料について》

 上の画像は、谷村文庫に所蔵されている『いさよいの記』です。末尾に「天和二年仲秋中旬 藤為綱」とあることから、冷泉為綱が天和 2 年 (1682) に書写したものとわかります。本書は列帖装(綴葉装)という装丁の本で、表紙見返しには金箔が散らされた美しい料紙が用いられています。『十六夜日記』の伝本は多くありますが、本書は最後の部分に、阿仏が勝訴を祈って鶴岡八幡宮に奉納した長歌と、その裏書として、藤原俊成女と越部庄に関する永仁 6 年 3 月 1 日の記が載せられていることから、流布本と呼ばれる種類の一本と考えられます。

●[いさよいの記・谷村文庫]


《もっと知りたい》

【関連書籍】
十六夜日記 ; 夜の鶴 / 阿仏尼著 ; 森本元子全訳注(講談社学術文庫・講談社)

【Web】
いさよひの日記(日本古典文学テキスト)

 

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