京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 夢窓疎石

《この作品について》


夢窓疎石 むそうそせき - 鎌倉南北朝時代・1275-1351


 夢窓疎石は、鎌倉・南北朝時代の僧侶です。
 建治元年(1275)伊勢に生まれ、九歳で出家します。当初は天台宗に学びますが、永仁元年(1293)、疎山と石頭という禅寺に行って達磨(だるま)半身の画像を得るという夢を見て禅宗に目覚め、京都建仁寺で無隠円範に学びます。そして、この夢にちなんで、後に自らを夢窓疎石と称しました。後醍醐天皇の勅請により南禅寺に住し、また、北条高時に請われて鎌倉浄智寺、円覚寺に住します。
 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の勅によって、京都臨川寺を開きました。また、後醍醐天皇から「夢窓国師」の号を賜ります。建武の親政が崩壊すると、足利尊氏、足利直義の帰依を受けます。暦応 2 年(1339)、後醍醐天皇が亡くなると、その冥福を祈って京都天竜寺を開きました。天竜寺方丈前の庭は疎石の作ですが、嵐山を借景としたこの美しい庭から、彼がすぐれた作庭家でもあったことが窺われます。
 多くの門弟を育て、その数は一万人以上であったと伝えられています。門弟の中には、義堂周信、絶海中津など、後に五山文学の中心となった人々がいます。
 夢窓疎石は、観応 2 年(1351)9 月 30 日、77 歳で入寂します。夢窓、正覚、心宗など、生前と没後あわせて七人の天皇(院)から国師の号を授けられたことから、「七朝帝師(七朝国師)」と称され、尊崇されました。

 

『夢窓国師語録・夢窓国師年譜』(一般貴重書)
『夢窓国師語録・夢窓国師年譜』(一般貴重書)
永仁元年、禅寺に行って達磨半身の画像を得る、という夢を見たことから、禅宗に目覚めたというエピソード。



《画像&資料について》

 上の画像は、『夢窓国師年譜』です。「この人物について」で記した、永仁元年に夢で禅寺に行ったというエピソードは、ここに書かれています。この年譜は、夢窓疎石の没後、文和 3 年(1354)に、弟子の春屋妙葩がまとめたものです。春屋妙葩は、夢窓疎石の教えを引き継ぎ、のちに夢窓派の中心となった人物です。京都大学附属図書館には、この『夢窓国師年譜』とともに、『夢窓国師語録』が所蔵されています。これは慧逸等、弟子たちによって、夢窓疎石の教えが記されたものです。貞治 4 年(1365)五山版として出され、その後も、室町時代から江戸時代にかけて、度々刊行されました。

●[夢窓国師語録・年譜 語録2巻,年譜1巻・一般貴重書]

 

《もっと知りたい》

【関連書籍】
夢中問答集 / 夢窓国師 [著] ; 川瀬一馬校注・現代語訳(講談社学術文庫)
訓註夢窓国師語録 / 佐々木容道著(春秋社)
西芳寺 : 苔と石と夢窓疎石 / 西川孟撮影(集英社, 日本の庭園美)
夢窓国師の風光 / 中村文峰著 ; 井上博道写真(春秋社)

 

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