挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第7話 祇王

挿絵とあらすじで楽しむお伽草子
あらすじは、古文は苦手、何を言っているのかさっぱりわからない、でもお話の内容は知りたい、という方のために、わかりやすさを一番に考えました。厳密な現代語訳というわけではありませんが、お話の雰囲気が伝わるように工夫してあります。

第7話 祇王

■ 上巻 ■

 むかし、太政大臣平清盛公、出家してからは浄海と申し上げるお方がいらっしゃいました。天下の権力を一手に握り、傍若無人に振る舞っておいででした。そのころ都に祇王(ぎおう)・祇女(ぎにょ)という有名な白拍子(しらびょうし)の姉妹がおりました。(白拍子というのは、今様という流行歌を歌ったり舞を舞ったりする女の芸能者のことです。)清盛公は、祇王をことのほかお気に召していらっしゃいました。

【祇王を寵愛する清盛】
【祇王を寵愛する清盛】


 そのおかげで、妹の祇女や母の刀自(とじ)も丁重に扱われ、立派なお屋敷を建てていただき、毎月たくさんのお扶持を賜って、何不自由なく豊かに暮らしておりました。都の白拍子たちはみな、祇王をうらやんだりねたんだりしていました。
 

【何不自由なく暮らす祇王母娘】
【何不自由なく暮らす祇王母娘】


 ところがそうして三年ほどたった頃、仏御前(ほとけごぜん)という十六歳の白拍子が都にやってきて、古今まれなる舞の名人と大評判になりました。仏御前は、「同じことなら天下の清盛公の御前で……」と思い、西八条にある清盛公のお屋敷へ自ら参上しました。祇王に夢中の清盛公は、「召してもおらぬに、突然参るとは無礼な」と怒り、追い帰そうとなさいました。しかし、まだ幼い仏御前に同情したのでしょうか、祇王が「せめてお会いになるだけでも」と取りなしましたので、清盛公も折れて、仏御前をお召しになりました。
 

【祇王の取りなしで呼び返される仏御前】
【祇王の取りなしで呼び返される仏御前】


 仏御前は、清盛公のご命令で今様を歌い、舞も披露しました。姿形が美しい上に、声がきれいで歌は上手、もちろん舞も引けを取るものではありません。その舞いぶりに感心した清盛公は、仏御前をすっかり気に入って、屋敷に留め置こうとなさいました。
 

【清盛の前で舞を披露する仏御前】
【清盛の前で舞を披露する仏御前】


 仏御前にとって、祇王は恩のある人。その祇王に遠慮して退出することを願いましたが、清盛公はお許しにならず、それどころか「祇王を追い出せ」とのご命令です。催促のお使いが何度も参りましたので、祇王はやむなく出ていくことにしました。さすがに三年も住んだ所ゆえ、名残惜しさもひとしおです。襖にこのような歌を書き残してから、車に乗り込みました。

 萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋に逢はで果つべき

 (芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです。人もまた、誰しもいつかは恋人に飽きられてしまうのでしょう)

【障子に和歌を書きつける祇王】
【障子に和歌を書きつける祇王】


 実家に戻った祇王は、母や妹の問いかけにも泣き伏すばかりです。やがて毎月のお扶持も止められて生活は苦しくなり、代わって仏御前の縁者が富み栄えるようになりました。祇王が清盛公に追い出されたと聞きつけて、手紙や使者を遣わす男たちもおりましたが、祇王は今さら相手にする気にもなれず、ただ涙にくれる日々でした。
 

【届けられる文に目もくれず泣き伏す祇王】
【届けられる文に目もくれず泣き伏す祇王】


 翌年の春、清盛公からの使者がやってきました。「参って歌うなり舞うなりして、仏御前の所在なさを慰めよ」との仰せです。祇王はただ泣くばかりで、お返事もできません。母はその様子を見て、「男女の仲のはかなさは世の習い。この天が下にある限り、清盛公に背くことなどできるものではない。この老いた母への孝行と思って、仰せのとおり参上しておくれ」と、涙ながらに教訓しました。
 

【清盛のもとへ参上する祇王】
【清盛のもとに参上するように涙ながらに諭す母】


 母にそう言われては仕方なく、祇王は祇女とともに西八条のお屋敷へ参りました。いつもの場所よりずっと下がった所に座らされ、我が身の境涯の変化を改めて思い知ります。清盛公は仏御前の取りなしも聞き入れず、祇王に今様を歌わせました。祇王の哀切な歌声に、並み居る人々は感涙を抑えられず、清盛公も上機嫌のご様子。またもや辛い目にあった祇王は、泣く泣く我が家へ帰ったのでした。
 

【清盛のもとへ参上する祇王】
【清盛のもとへ参上する祇王】



■ 下巻 ■

 祇王は母に向かって、「生きていればまたこのような辛い目にあうかもしれません。もう身を投げて死んでしまおうと思います」と訴えました。祇女も、「お姉さまが死ぬとおっしゃるのならば、私もご一緒に」と言います。母はまた涙ながらに、「お前が私を恨むのも無理はないけれど、二人の娘に死なれては、私も生きていられようか。そんな親不孝の罪を犯さないでおくれ」と教訓しました。
 

【「このように辛い思いをするなら、いっそ死んでしまいとうございます……」】
【「このように辛い思いをするなら、いっそ死んでしまいとうございます……」】


 そこで祇王は自害を思いとどまりましたが、このまま都に住んでいては再び辛い目にあうかもしれないと、嵯峨野の奥の山里に草庵をしつらえ、尼となって引きこもりました。母や妹もそれに従い、ひたすら後生を願って念仏を唱える生活に入りました。時に祇王二十一歳、祇女十九歳、母は四十五歳。やがて季節は巡り、秋がやってきました。夕日が西の山の端に沈むのを見ても、尼たちは西方極楽浄土を思うのでした。
 

【出家して嵯峨野の奥に遁世する母娘】
【出家して嵯峨野の奥に遁世する母娘】


 その夜、母子三人が念仏を唱えていると、竹の編戸をトントンとたたく音がします。みな驚いて、「こんな山里へ、しかも夜更けに、誰が訪ねて来るものか。きっと魔物が念仏の邪魔をしにきたにちがいない」と恐ろしがっていました。
 

【「トントントン。もし、祇王さまはいらっしゃいますか。」「こんな夜更けに誰かしら…」】
【「トントントン。もし、祇王さまはいらっしゃいますか。」「こんな夜更けに誰かしら…」】


 「でも開けないというのも不人情。きっと仏様がお守り下さるでしょうから」と思い直して、念仏を唱えながら編戸を開けてみると、そこにいたのは魔物ではなく、あの仏御前でした。祇王は「これはまあ、仏御前殿ではありませんか。夢ではないかしら」と、目に涙をためています。

【仏御前の来訪に驚く祇王】
【仏御前の来訪に驚く祇王】


   仏御前は、「ご恩を受けましたあなた様をかえって追い出すことになってしまい、心苦しく存じておりました。また、我が身もいつ同じ目にあうことやらと思うと、清盛公のご寵愛すら全くうれしくもございませんでした。みな様ご一緒に出家を遂げられたと承りましてうらやましく、はかないこの世の楽しみにふけるよりは後生を願いたいと思い、清盛公のお許しはいただけませんでしたが、今朝忍んで出て参ったのでございます」と言って、かぶっていた衣を取りますと、現れたのはなんと髪を下ろした尼の姿でした。
 

【尼姿の仏御前】
【尼姿の仏御前】


 仏御前は「この尼姿に免じてこれまでのことはお許し下さいませ。もし許していただけるなら、ここでみな様とご一緒に念仏して後生を願いとうございます」と熱心に頼みます。それを聞いた祇王も、「あなた様がそれほどまでに思っていらっしゃるとはつゆ知らず、あなた様をお恨み申し上げたこともございました。その恨みも今となっては晴れました。私たちは世を恨んで出家いたしましたが、あなた様は何不自由ない身で、しかも十七歳という若さで自ら髪を下ろされました。何という尊いおこころざしでしょう。あなた様こそ私たちを極楽へ導いて下さる方です。ご一緒に後世を願いましょう」と涙ながらに答えます。
 

【「これからは四人一緒に極楽往生を願いましょう」】
【「これからは四人一緒に極楽往生を願いましょう」】


 四人の尼たちは一心に後世を願って念仏を唱えて暮らしました。その甲斐あって、最後には四人そろって極楽往生を遂げたということです。 南無阿弥陀仏
 

【念仏修行にはげむ四人の尼】
【念仏修行にはげむ四人の尼】



■ 完 ■

Copyright 2001. Kyoto University Library