挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第4話 満仲(まんじゅう)
挿絵とあらすじで楽しむお伽草子
あらすじは、古文は苦手、何を言っているのかさっぱりわからない、でもお話の内容は知りたい、という方のために、わかりやすさを一番に考えました。厳密な現代語訳というわけではありませんが、お話の雰囲気が伝わるように工夫してあります。
第4話 満仲(まんじゅう)
その昔、多田の満仲(まんじゅう)という天下に並び無い武士がおりました。嫡子の頼光、次男頼信、三男多田法眼とともに、朝廷を守り、人々に尊敬されておりました。
そんな満仲でしたが、ある時ふと考えました。
「思えば人間の一生などはかないものじゃ。たとえ今は栄えていたとしても、その栄華など朝顔の花が朝に開いて夕べに萎んでしまうようなもの。そんなものに執着して何になろう。わしは今こそ武士として人に恐れられてはいるが、あの世に赴くときには、数千人の眷属も一人として付き従ってはくれないであろう。たった一人地獄の獄卒に責められながら進むだけじゃ。なんと口惜しいこと。
しかし、仏法に帰依しようと思えば、武士の勤めが疎かになろう。どうしたらよいものやら。」
けれども一度芽生えてしまった道心はどうしようもありません。そこで満仲はある貴い上人の庵室をたずねました。
「上人様、我らのような衆生はどうやって極楽に往生すればよろしいのでしょうか。」
「よくぞお尋ねくだされた。我が国は聖徳太子の昔より、仏法繁盛の国でございます。中でも法華経という八巻の貴いお経がございます。これに結縁なさいませ。」
「その法華経というのはどのようなお経でございましょうか。」
「このお経の中の一句でも聞いた人は、五波羅蜜に優る功徳を得ると申します。ましてあなた様は仏法や国家や人民を守るために弓矢を持って戦っておられる。一人を殺して多くの命を救うという功徳があるはず。仏が悪魔と戦ってやっつけるというお経もあるのです。
たとえ出家しなくとも、心の持ちようによって成仏することは可能です。天竺の維摩居士(ゆいまこじ)や我が国の聖徳太子も、在家のままで仏道修行をなさいました。たとえ重い罪を犯した輩であっても、ほんの一瞬の道心により、罪障が消滅すると申します。あなた様も在家のままであっても、仏道を願う気持ちさえあれば、きっと往生できましょう。」
「何とありがたいこと。そういうお経でありましたら、是非とも法華経を伝授して下さいませ。愚鈍ではございますが、常に参上いたしますので、たとえ一字なりともお授け下さい。」
「承りました。仏がこのお経を説かれた時には、草や木、国土が全て成仏したと申します。即身成仏とまではいかなくても、力の限りお教えいたしましょう。」
上人は間もなく満仲に法華経一部を伝授しました。
満仲は、「やはり人間にとってもっとも大切なのは後生を願うことなのじゃ。末の息子を出家させ、われらの後生を弔ってもらおう。」
と考えました。そこで美女御前(びじょごぜん)という十二歳になる若君を呼んで言いました。
「美女御前よ、寺へ上り、学問して法師になり、我らの後生を弔っておくれ。」
それを聞いた美女御前は、内心、
「これは困ったこと。他人のことと聞いてさえ、出家などいやだと思っていたが、よもや自分の身の上に降りかかってくるとは。」
と思いますが、父親の命令ですので背くわけにはいきません。しぶしぶ了承しました。すぐに中山寺というお寺に預けられることになりました。
満仲は重ね重ね、
「寺に入ったら、まず学問の最初に法華経を学び、それから他の教えを学ぶがよい。」
と念を押します。
美女御前は約束して寺に入りましたが、もとより気に染まないお寺暮らしです。お経を学ぼうなどという気は全くありません。木の皮や草の蔓などで鎧、木長刀、木太刀を作っては、他の稚児を追い回し、飛んだり跳ねたり、相撲をしたり、力比べをしたりと、武芸のまねごとばかりしています。師匠がお説教しようものなら、かえって師匠を殴りつけるしまつ。まったく手に負えない、寺一番の乱暴者になっておりました。
さて、そうとは夢にも知らない満仲は、
「今頃はもう法華経を暗誦していることであろう。一度呼んで聞いてみよう。」
と、美女御前を呼びました。
あわてたのは美女御前です。
「これは困った。この二三年寺にいたことはいたが、経など一文字も学んではおらぬ。里へ帰れば父上は法華経を読めと仰せになるに違いない。これはどうしたものか。」
けれども今さら法華経を習うわけにもいきません。そのまま多田の里へ向かいました。
満仲はすぐに対面します。
「久しぶりじゃのう、美女御前。大きくなったものじゃ。さて、約束の法華経は覚えただろうな。さあさあ聞かせておくれ。聴聞しよう。」
紫檀(したん)の文机の前に、紺地に金泥で書かれた八巻の法華経が並べられています。
「かねてより申していたのはこの経じゃ。さあ聴聞しようではないか。」
けれども美女御前はだまっています。
「なぜ経を読まぬのじゃ。もし一字でも読み間違えたらただではおかぬぞ。」
満仲は太刀に手をかけ、早く読むように催促します。
かわいそうに、美女御前は一字も学んでいないのですから、巻物の紐を解くまでもありません。真っ赤になってかしこまっています。
しびれをきらした満仲は、
「ええい、頼りがいの無い奴じゃ。こうしてくれるわ。」
と、太刀を抜いて斬りかかります。
けれども美女御前も負けてはいません。何せ寺ではお経ではなく武芸ばかり学んでいたのですから。机の上にある経典を一巻とって、太刀をうけます。座ったままでひらりと後ろへ飛び退き、稲妻のように姿を消してしまいました。
怒ったのは満仲です。仲光という家来を呼び、
「この太刀で美女御前を討ち、首を持って参れ。」
と命じ、先祖伝来の太刀を差しだします。仲光は返事に窮して、平身低頭しています。
「わしに逆らう気か。主人の命に背くとは不忠義者め。」
こうまで言われて辞退はできません。仲光は太刀を受け取ると、自分の宿所へ帰りました。
門の所までやってくると、美女御前が面目なさそうにたたずんでいます。仲光の袖にすがりつき、
「お前だけが頼りなのだ。」
と泣き出します。仲光は美女御前を中へと案内します。
「お父上が数ある侍の中でそれがしにあなた様を討つようにお命じになったのも、何かのご縁です。たとえそれがしが首を討たれようとも、お命をお助けいたします。ご安心なさいませ。」
けれども満仲からは美女御前の首を差しだせと催促する使いが何度も遣わされます。
「さてどうしたものか。たとえそれがしが腹を切っても、殿は若君のお命をお助け下さるまい。討てと仰せなのも主君、助けよと仰せなのも主君、どうしたらよいのであろうか。」
仲光は進退窮まってしまいました。
「そうじゃ、それがしの息子、幸寿丸(こうじゅまる)は若君と同年じゃ。九歳の時から寺へ上らせ、今年は十五歳になる。これを呼び戻し、若君の身代わりにしよう。」
さて、この幸寿丸は姿形も美しく、大変聡明だったので、寺でも大切にされていました。その幸寿丸のところへ父親から急ぎの使いがやってきました。ただちに帰ってくるようにというのです。幸寿丸はこの六七年両親に会っていなかったので、恋しく思っていた矢先でした。喜んで里へ下ります。
門の所までやってくると、父仲光が待っています。幸寿丸は父を見つけ、うれしそうに馬から下りて駆け寄ってきました。その大人びた姿を見て仲光は、
「ここまで育てた甲斐もなく、自らの手にかけなくてはならないとは……。」
と涙を流します。
「幸寿丸よ、そなたを呼び出したのは他でもない。美女御前が父上の仰せに背かれたゆえ、それがしに討てとの命令が下されたのじゃ。しかし若君はそれがしを頼って逃げ込んでこられた。どうして無情にお討ちできようか。臣下たるもの、主君の命に変わるべきである。孝行な子供は身を捨てて親の菩提をとむらうという。そなたは寺で学問したからには、このあたりのことはよく分かっておろう。面目ないとは思うが、若君の身代わりになってはくれまいか。」
幸寿丸はにっこりと微笑みました。
「そうおっしゃって下さってうれしゅうございます。武士の子と生まれたからには、主君のお命に変わるべきものと思っておりました。主君のお命に変わり、かつ親の命に従うことができるとは光栄でございます。さあ早くわたくしの首をお召し下さい。命など露ほども惜しくありません。
そうは申しましても、少しのお暇を下さいませ。母上に最後のご挨拶を申し上げとうございます。」
「何と不憫な。さあさあ急いで母と対面せよ。くれぐれもこのことを母に知らせるでないぞ。」
「情けないこと。未練がましい者とお思いか。ご安心なさいませ。決して知らせたりいたしません。」
幸寿丸は母のもとに参上します。ところが母を見るなり涙を流しました。
「久しぶりの対面でさぞ喜ぶであろうと思っていたが、母を見て涙を流すとはどうしたことか。」
「そのことにございます。昔唐土(もろこし)の漢王が胡国に攻め込んだとき、こうせい将軍を大将として派遣されました。十二年の合戦の後、見事に戦に勝って凱旋した将軍は、故郷の母親の元に参上して涙を流しました。母親は、
『戦に勝ってさぞや喜んでいるであろうと思っていたのに、何が辛くてそのように泣くのじゃ。』
とたずねます。将軍は、
『胡国へ出陣いたしました時には真っ黒だったおぐしが、今は真っ白であらせられます。それが悲しくて不覚にも涙を流してしまいました。』
と答えました。母親は、
『親が年取ったことを見て泣くとはあわれにもうれしくもあることよ。』
と喜んだということです。そのことを今思い出しました。九つの時に寺へ上がった時には真っ黒だったおぐしが、今は白くなられたので、あとどれくらいこのようにお目にかかれるのかと悲しく、つい涙を流してしまいました。」
母はこれを聞いて、疑うはずもありません。幸寿丸の親孝行な心を喜び、頼もしく思いました。
「このままもう少しお話していたいとは思いますが、美女御前がこちらにおいでとうかがいました。お目にかかってご挨拶してから、またすぐに参りましょう。」
幸寿丸はうそをついて母の御前を退出しました。これがこの世の別れとなるのです。どれほど悲しく思ったことでしょう。
その後幸寿丸は一人部屋に入り、念仏し、辞世の歌を読みました。
君がため命に代はる後のよの 闇をば照らせ山の端(は)の月
(主君に変わって命を落としますが、月が夜の闇を照らすように、仏様、どうかわたくしの後の世の闇路を照らして下さいませ。)
お寺の師匠や同輩たちに形見の文を残したくは思うのですが、それも叶いません。ただ一通、いつわりの文を書きました。
「このたび里へ退出いたしましたのは、他でもございません、主君の美女御前がお父君の御意にそむかれ、お父上である満仲殿の手にかかって命を落とされたのでございます。その菩提をお弔いするようにと、わが父からの命令でございました。けれども若君のご最期を拝見いたしまして、そのおいたわしさにいてもたってもいられず、父にも母にも知らせずに、若君の遺骨を首にかけて高野山へ登ることにいたしました。三年たちましたら必ず帰り、お目にかかりましょう。幸寿丸より。」
形見に髪の毛を一筋そえます。名残惜しさといったらありません。
その後父の前に参上します。
「ただいま母上に最期のご挨拶をしてまいりました。今はもう思い残すことはございません。ただ、あちらの部屋に文が一つございます。それを長年住み慣れたお寺へお届け下さいませ。」
それだけ言うと、敷物の上に座り、髪を高く上げ、西に向かって念仏しはじめました。取り乱す様子は全くありません。
仲光は太刀をもって近付きましたが、悲しみに心もくれ惑い、太刀をどこに振り下ろしていいかもわからないほどです。思い切って太刀を振り下ろすと、幸寿丸の首は前に落ちました。
かねてから覚悟していたことです。今さら嘆いても仕方ありません。幸寿丸の首を若君の直垂で包み、満仲のもとに参上しました。
「御意背きがたく、おいたわしながらも美女御前の御命をいただきました。今はもうご本望をお遂げなされたのですから、お怒りをお解き下さいませ。情けない我が君のご処置ですこと。」
言い終わらない内に、袖を顔にあてて泣き出しました。満仲も見るにたえない様子で、
「よくぞやり遂げた。首は汝にとらせるぞ。よくよく供養してやってくれ。」
とだけ言うと、奧に入ってしまいました。
仲光は首をもって宿所に帰ると、女房を呼びだしました。真相を話して聞かせ、幸寿丸の首を見せます。女房はそれを見てものも言えません。
「幸寿丸がさきほどあのように泣いていたのは、こういう訳だったのですね。主君の命にかわることを、どうしてわたくしがとめたりいたしましょう。事情を話して下されば、ともに介錯して最期を見届けましたものを……。そうすればこれほど悲しい思いはしなかったでしょうに。お恨みいたします、仲光殿。」
女房は首に抱きつくと、倒れ伏して泣き続けました。
ちょうど美女御前がこのやりとりを障子越しに聞いていました。美女御前は障子をさっと開けると、
「今何と申した、夫婦のものよ。わたしのかわりに幸寿丸の首を討ったとな。幸寿丸の首を討つくらいならば、どうしてこの美女の首を討たなかったのだ。幸寿丸の変わりに生きながらえたとて、誰にも顔向けできぬものを。」
と言うが早いか、自害しようとします。
仲光夫婦はあわてて駆け寄り、刀を奪い取ります。
「今日からは学問をしっかりなさって、幸寿丸の菩提を弔って下さいまし。」
仲光は人目を避けて美女御前を連れて、多田の里を出ると、坂本の十禅師に向かいました。
「十禅師権現のおはからいによって、比叡山の学僧のお弟子となって、よくよく学問なさいませ。」
「やや、もう帰るのか、仲光よ。名残惜しや。」
美女御前はいつまでも仲光を見送り、仲光もまた振り返り振り返り、多田の里へと帰っていきました。
さて、多田の里についた仲光は、女房にむかって、
「幸寿丸の最期の時、われもともに命を捨てたいと千度百度思ったが、若君を無事にお逃がしするまではと思って生きながらえてきた。今となっては心残りもない。さらば。」
と言うが早いか、腰の刀を取り出して切腹しようとします。女房は刀にすがりつき、
「落ち着いて下さいませ、仲光殿。わたくしとて思いは同じでございます。まずはわたくしを斬ってから自害なされませ。けれどもよもやお忘れではありますまい。あなたとわたくしの亡き後、幸寿丸が身代わりとなったことが殿のお耳に入ったらどうなさいます。美女御前が深い山奥に隠れていらっしゃるのを探し出されるかもしれません。そうなれば草葉の陰で幸寿丸もさぞや嘆くことでしょう。どうか自害を思いとどまって下さいまし。夫婦一緒に幸寿丸の菩提を弔おうではありませんか。」
とかきくどきます。仲光も道理に納得して自害を思いとどまりました。
一方、十禅師の美女御前は、右も左も分からず、誰について学問してよいやら、途方にくれておりました。けれどもこれも十禅師権現のお導きでしょうか、かの有名な恵心僧都(えしんそうず)が十禅師に参詣なさるところに行き会いました。
「これは何と美しい若君じゃ。このあたりでは見かけぬ顔じゃが、どこから来られた。どういった身分の人か。」
「幼いときに両親に先立たれたみなしごにございます。」
「それならば共に参られよ。」
恵心僧都は同宿の僧たちに美女御前の手をひかせ、自分の坊へ連れていきました。
美女御前は熱心に学問に励み、十九歳になりました。ある時、正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)というお経を読みながら、涙を流しています。これを見た僧都は不思議に思ってたずねました。
「稚児よ、何が悲しくて泣くのじゃ。」
「このお経には、親不孝な子供は阿鼻地獄に墜ちると書いてありますので、身につまされて泣いております。」
「おかしな事を申すものじゃ。そなたは幼いときに両親に先立たれたと申していたではないか。親不孝とはどういうことか。」
「今となってはもう隠し立てはいたしますまい。わたくしは学問もせず、なまけておりましたために勘当された者にございます。」
「親とはどういった人か。」
「津の国多田の里におります満仲と申す者にございます。」
「これは何としたこと。日頃から並の身分の人ではないと思っていたが、さてはかの有名な満仲殿のご子息であらせられたか。今まで気付かなかったのは愚僧の不覚でござった。それならばますます学問に励まれよ。立派な僧侶となられたあかつきには、この源信が満仲殿のもとに参上して、ご勘当の許しを乞おうではないか。」
美女御前は十九歳で出家し、恵心院の円覚(えんがく)と名付けられました。僧都のもとで天台の教えを熱心に学んだ甲斐あって、ついにその奥義を究めました。二十五歳でした。僧都は美女御前を伴って多田の里に向かいます。
多田の里につくと、まずはひそかに仲光の邸に趣きます。仲光は美女御前の姿を見て、あまりのうれしさに言葉もありません。
「なんとめでたい若君のお姿よ。それにつけても思い出されるのは幸寿丸のこと。満仲殿もかねてより若君が僧侶となられることを望んでおられた。さだめしご対面なさるであろう。さあさあ、すぐに参上しましょう。」
仲光はすぐに満仲の御前に参上しました。美女御前のことは言わずに、
「比叡山で名高い恵心僧都が、殿にご対面なさるためにお越しです。」
と伝えました。あの恵心僧都が来たというのですから、満仲は驚いて、
「何、恵心僧都が御自らおいでとな。思いがけないこともあるものじゃ。さあさあこちらへお通しせよ。」
と僧都を招き入れます。
満仲は僧都と対面して、
「初対面でこのような事をうかがうのは、不躾かとは思いますが、われわれのような大悪行の俗人は、後生にどうやって助かることができるでしょうか。」
と聞きます。
「経典の中の一句を聞いた功徳ははかりないものと申します。弓矢をとって戦われても、合戦の最中にそれを思い出せば、罪障は消えて即身成仏うたがいありません。」
満仲は、
「それでは弓矢をとって戦っても、一心に願えば極楽に往生することができるのだ。」
と喜びます。
ちょうど九月十三夜の明月のころでした。月が皎々と輝いています。鹿の声、虫の音も聞こえて趣深い夜です。昔の美女御前、今の円覚は法華経の一句を高らかに唱えました。その声は天まで届くかのようです。貴いなどといったものではありません。聞く人はみな涙を流しています。満仲も感動してうれし泣きをしています。恵心僧都にもうしばらく逗留してくれるように頼みますが、僧都は修行のために明日帰らなくてはならないと言います。
「それならばあのお弟子の御僧に残っていただきたく存じます。」
「あの者は幼いときから常にそばに置いている者だが、一週間だけ留め置こう。御用がお済みになったら比叡山へ返していただきたい。」
僧都は勘当のことは一言も口にせずに山へ帰ってゆきました。
円覚は一人とどまって、七日間お経を唱えます。満仲はその様子を見て、
「貴僧はどのようなお方でしょう。それがしも貴僧と同じくらいの子供を持っておりましたが、学問もせずなまけてばかりいたので、家来に首を斬らせました。今さらながら後悔しておりますが、甲斐もありません。ここにおりますのはその母でございます。悲しみの余り両目を泣きつぶして、今は盲目となってしまいました。貴僧のお姿を見ていると、何となくわが子に似ておられる。のう、御台よ、この御僧こそ美女御前に少し似ておられるようじゃ。」
「まあそれはそれはおなつかしいこと。これからは特に用事がなくともお立ち寄りになって、お経を聞かせて下さいませ。そうすれば心もなぐさみましょう。」
円覚はこれを聞いて、
「さては自分のふがいなさのために、母は盲目となられたか。神仏もわたしを憎いやつと思し召しであろう。罪障の口惜しさよ。」
と涙を流し、
「神様、仏様、どうかわが母の目を開かせて下さいませ。」
と祈りました。すると神仏も哀れみ給うたのでありましょうか、本尊から金色の光が発せられ、北の方の額を照らしました。満仲が、
「のうのう、御覧ぜよ。本尊の御前から金色の光があらわれたぞ。」
と言うのを聞いて、北の方が、
「それはどこに。」
と言った瞬間、長い間盲目だった両眼が、たちまちに開きました。
満仲夫婦は手を合わせて、円覚を拝みました。けれども円覚は畏まって座を退きます。
「これは忝ないこと。どうしてそのように座を退かれるのか。」
「お釈迦様が説法なさったときにも、お釈迦様の父上である浄飯王(じょうぼんおう)がいらっしゃると、蓮華座を去って敬意を表したということです。ましてわたくしのような卑しい僧はなおさらでございます。」
「それは親子の礼儀でしょう。われわれは他人なのですから、どうして遠慮なさることがありましょうか。」
「今となっては隠し立ていたしますまい。わたくしはあの美女御前にございます。仲光が息子の幸寿丸を身代わりにしてわたくしを助けてくれたのです。今は縁あって、このように恵心僧都のお弟子となっております。」
満仲夫婦は、円覚の袖にすがりつき、
「これは夢か、現か。夢ならば覚めないでおくれ。」
と喜びます。
すぐに仲光夫婦が呼び出されました。
「これを見よ、夫婦のものよ。今からは美女御前を幸寿丸と思って、後生のことは頼もしく思うがよい。」
満仲夫婦も仲光夫婦も円覚にすがりついて喜びの涙を流します。
満仲は九万八千町の領地を二つに分け、半分を仲光に治めさせました。また幸寿丸の菩提を弔うために、小童寺というお寺を建てて、稚児の形の文殊菩薩を本尊としました。
満仲は、弓矢をとって仕える武士でありながら、罪障を懺悔し、発心したので、子孫も繁盛し、天下を治めることができたのでした。また一方で幸寿丸は、義理を重んじ、自分の命を捨てて名を後代に残したので、人々はその類なき心映えを褒め称えたということです。
■ 完 ■
Copyright 2001. Kyoto University Library