挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第11話 車僧草子
挿絵とあらすじで楽しむお伽草子
あらすじは、古文は苦手、何を言っているのかさっぱりわからない、でもお話の内容は知りたい、という方のために、わかりやすさを一番に考えました。厳密な現代語訳というわけではありませんが、お話の雰囲気が伝わるように工夫してあります。
第11話 車僧草子
昔、貴い禅僧が一人おりました。この人は達磨尊者の教えを三十年以上も熱心に勉強し、ついに奥義を極めたと慢心していました。出家とは家を出ることであるから、一つの場所に定住することは具合が悪かろうと、小さな車を作り、昼は車輪の進むに任せて都の中を巡り、夜は車に乗ったまま眠ったので、人々はこの僧を車僧と呼びました。
ある時、車僧は雪景色が美しいので嵯峨野の方へ車を向け、四方の景色を眺めていました。
ちょうどその時、愛宕山の天狗、太郎坊がこれを見ていました。
「この人は少し慢心の心があるようだ。ちょいとたぶらかしてやろう。」
太郎坊は僧の姿になって愛宕山を降り、嵯峨野にやってきました。
「もうしもうし、車僧に申し上げることがあります。」
車僧が、
「どなたじゃな。」
と尋ねると、
「車僧はどうして浮世を車に乗ってぐるぐるまわっているのか。いまだ輪廻の輪から抜け出せないとみゆる。」
と詠みかけます。車僧は(なかなか面白いことを言う。)と思い、
「乗ることができる輪があってわたしが教えを得ることができるなら、どうして浮世を巡って輪廻の中で迷うことがあろうか。」
と返歌します。これを聞いた太郎坊は(こいつはちとめんどうだ。)と思い、車僧に近寄って問答をしかけてきます。車僧は、
「ははあ、こいつはわしが慢心していると思って悟りを妨げようとやってきたんじゃな。」
と思って、次々に太郎坊の問答に答えてゆきます。どうやら太郎坊のかなう相手ではないようです。ついには、
「さては御身は愛宕山に住む天狗の太郎坊じゃな。」
と正体を見抜かれてしまいます。太郎坊も、もはやこれまでと観念し、仲間の十二天狗に助けを求めようと考えました。太郎坊が、
「御身の仰せの通り、わしは愛宕に住む太郎坊じゃ。車路は無いが愛宕山まで訪ねて来られよ。待っているぞ。」
と言うやいなや、にわかに空が震動し、黒雲がひとつ舞い降りて、太郎坊を乗せてどこへともなく消え去っていきました。
車僧は、(さてさてもう帰ろうか……。いいや、やつはまた来るにちがいない。今度は捕まえて魔法とやらを使わせてみよう。)と考えて、再び雪景色を眺めていました。
一方、この太郎坊と車僧の一件は、瞬く間に天狗たちの間に知れ渡りました。木の葉天狗たちは、
「聞くところによると、太郎坊は嵯峨野で車僧とかいう似非者にやりこめられたそうじゃ。いざ、われらも嵯峨野へ向かい、車僧の邪魔をしてみようではないか。」
と、雲霞の如く群がって、車僧のもとにやってきました。
車僧は、 「何者かは知らぬが、わしをたぶらかしに来おったな。」
と思いますが、少しも動じません。
「やいやい、車僧、慢心をおこして、われらが天狗道へもお入りなされ。」
天狗たちは、車僧を誘惑しようと、目の前で自由自在に飛び回ってみせます。車僧は知らんぷり。
困った一人の天狗が車の轅に手をかけて、車ごと持ち上げようとします。車僧は、
「えい、憎い奴め。こうしてくれるわ。」
と、持っていた払子を振り上げて、天狗の翼をたたきました。たたかれた天狗は地面に転げ落ちてしまいました。
これを見た他の天狗たちは、いっせいに車僧に飛びかかります。車僧は、不動明王の呪文を唱え始めました。天狗たちは恐れてちりぢりに退散していきました。
さて、愛宕山では太郎坊が自分の庵に仲間の十二天狗・八天狗を集めていました。嵯峨野での車僧との一件を聞いた天狗たちは、
「これはなんと口惜しいこと。その車僧とやらの法力がどれほどのものであれ、われわれが赴けば、わけなく修行の邪魔をすることができるであろう。いざ行こうではないか。」
と、出かけようとします。すると平野の峯の二郎坊が、
「これは不思議。鞍馬の僧正坊がおりませぬぞ。どうしたことか。」
と、言い出しました。
「まことに僧正坊のような一人当千の強者がおらぬとは不思議なこと。急いで使者を遣わせ。」
すぐに僧正坊のもとに使いが使わされました。
「実は先日市原のあたりで車僧という似非者に出会い、さんざんに翼を打ち折られて死にそうなのじゃ。この度はお許し下され。」
「いやいや、僧正坊様がお出でにならなくてははじまりません。ひらにお出で下さいませ。」
「ええい、わからんやつじゃな。死にそうじゃというのがわからんのか。はやく帰ってこの由を他の天狗たちに伝えるのじゃ。」
使いは急ぎ太郎坊たちのもとへ帰り、このことを伝えます。
「あの僧正坊がやられるとは、よもやただ者ではあるまい。太郎坊、今回は思いとどまって、機会を待たれよ。」
天狗たちは逃げ腰です。
そこへ相模坊が進み出ました。
「僧正坊はたった一人であったゆえ、そのように打ち負かされたのであろう。われらのように大勢が集まれば、簡単に車僧を魔道に引き入れることができよう。」
「なるほど、それももっとも。」
天狗たちは我先にと車僧のもとへむかいました。
日も西に傾き、烏がねぐらへ帰りはじめました。車僧が里の方へ向かおうとしたその時、空に声が響きわたりました。
「車僧よ、どこへ行くのじゃ。『我ほど貴い者はいない』と、慢心しているようじゃな。それならば魔道にも心を寄せよ。善悪ふたつは車の両輪のようなもの。仏法があれば世法あり。仏あれば衆生あり。車僧あれば太郎坊あり。祈るなら祈るがよい。さあさあ、験比べしようではないか。」
愛宕山の方を見ると、太郎坊を先頭に、無数の天狗たちが黒雲に乗ってやってくるところでした。
車僧の方では、かねてから予期していたことなので、少しもあわてる様子がありません。
「お前たちがどれほど邪魔しようとも、心を動かされたりするものか。早々に立ち去るがよい。」
「そうはさせるものか。魔道へ連れていってくれるわ。」
天狗たちは車を打ち始めました。
「浅ましいことじゃ。車を打ったからといって車が進むものか。車を進めるには牛を打つものであろう。」
「まことに車を打っても仕方がない。」
天狗たちはなるほどと納得し、牛を打とうとしますが、もとより牛などおりません。結局車を打ち続けます。
「愚かなこと。この車を引く牛がお前たちには見えぬとみゆる。そこをどくがよい。」
「ならば御身が打つなら車は進むのか。」
「当然じゃ。牛を打ってみせよう。そこで見ておれ。」
車僧が払子で空中を打つと、あら不思議、牛もいないのに車は動きだし、一瞬のうちに嵯峨野から小倉山、大井川、嵐山を巡って帰ってきました。天狗たちは肝をつぶしています。
「今度はお前たちの番じゃ。お前たちの力はどのようなものか。」
「それでは見せてやろう。」
天狗たちが言うやいなや、大地がまっぷたつに裂け、炎が燃えだしました。修羅道地獄です。中では激しい戦いが繰り広げられています。
互いに名字を名乗り、つかみあう者、首をとる者、とられる者、火花を散らして戦う者、腹をかき切って自害する者など、ありとあらゆる戦いの場面が目の前で展開されます。
もう一度炎が燃え上がったかと思うと、次の瞬間には元のように真っ白な雪の野原が目の前に広がっていました。
車僧は、
「これは何と不思議なこと。おもしろいものじゃ。」
と、少し心を動かされました。
「どうだ。これくらい百日百夜見せようと思いのままじゃ。」
車僧はこれを聞き、すぐに思い返して、
「この後は、わが法力でそのような術はさせまいぞ。」
と言うと、天狗たちは、
「では今度は極楽の様子を顕わしてみよう。そこで御覧ぜよ。」
と言い出しました。車僧は手を合わせ、空に一礼すると、悪魔を退治する呪文を唱え始めました。
これは不思議。四方の山々に、にわかに紫色の雲がたなびき始めました。雲の中には不動明王をはじめ、不動明王の眷属の衿迦羅・制多迦二童子、十二天、その他悪魔降伏の神仏の姿が見えます。
神仏は自由に飛び回る天狗たちを捕まえ、車僧の前に引き据えて、今後はこのような災いをなさないという誓いを立てさせませした。
「まことに有り難い車僧であることよ。貴とや、恐ろしや。これからはこのような災いをなしたりいたしません。」
「それならば許してやろう。早く帰るがよい。」
天狗たちは雲や霞に紛れて、皆愛宕山の方へ帰っていきました。
この車僧は、仏教を修めたからこそ、このように不思議な力を度々発揮なさったのです。これもひとえに仏法の威力といえましょう。信じるべきは仏法というお話でした。
■ 完 ■
Copyright 2002. Kyoto University Library