挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第9話 たま藻のまへ

 近衛院の御代、久寿二(1155)年ころ、鳥羽院の御所に一人の下女が仕えていました。後に人々からは、玉藻の前と呼ばれるようになるのですが、天下一の美女、国一番の賢女でした。不思議なことに、玉藻の前の体からは自然によい香りが漂い、一日中美しい装いをしていました。そんなわけですから院のご寵愛も並々ではなく、院の御所の人々も皆, 玉藻の前に夢中でした。
 

【天下一の美女、賢女と紹介される玉藻の前 】
【天下一の美女、賢女と紹介される玉藻の前 】


 しかも玉藻の前は美しいだけではなく、大変な博識でもありました。年の頃はわずか二十歳くらいに見えるのですが、知らないことがないのです。何を尋ねても、にっこりと微笑みながら、わかりやすい言葉で答えます。
 あまりの不思議さに、院が、玉藻の前を試してみようと、難しい仏教の教えについて質問してみました。すると、彼女は、昔の偉いお坊さんたちが書物に説いておられるとおりに答えました。院をはじめ御所中の人々は、これを聞いて驚きました。
 

【難しい仏教の教えを説明する玉藻の前】
【難しい仏教の教えを説明する玉藻の前】


 そこで院は更なる難題を出しました。
「空に天の川というものがあるが、あれは本当に川なのか。」
「わたくしのような者がどうして存じましょう。けれど、あれは雲の精ではないかと思います。」
「なるほど雲の精とな…。面白い。」
 院はすっかり感心している様子です。
 

【天を指しながら天の川について説明する玉藻の前 】
【天を指しながら天の川について説明する玉藻の前 】


 こんな玉藻の前ですから、院のご寵愛も大変深く、片時もそばを離しません。まるで女御のように大切にされました。
 九月二十日のころ、清涼殿で詩歌管絃の遊びがありました。
 院は玉藻の前を連れて御簾の内に座りました。おりしも激しい風が吹いたかと思うと、灯ろうの火が吹き消され、あたりは真っ暗になってしまいました。すると玉藻の前が体から光を放つではありませんか。その場にいた大臣公卿たちが驚いてあたりを見回すと、玉藻の前のいる御簾の中から光が漏れています。その光はまるで朝日のようです。
 管絃もそっちのけでこのことを院に申し上げたところ、「不思議なこともあるものよ。これは仏や菩薩の化身に違いない」と仰せられました。御簾を上げると、闇夜にもかかわらずあたりは昼よりも明るくなりました。この光がまるで玉が輝くようであったことから、彼女のことを玉藻の前と呼ぶようになりました。
 

【宮中管絃の遊びの折り、躯(からだ)から光を放つ玉藻の前と、御簾の中から漏れる光に驚く大臣公卿たち】
【宮中管絃の遊びの折り、躯(からだ)から光を放つ玉藻の前と、御簾の中から漏れる光に驚く大臣公卿たち】


 「何か知りたいことがあれば玉藻の前に尋ねよ」との仰せでしたので、若い殿上人が進み出て管絃についての質問をしました。これにも玉藻の前はすらすらと答えたので、その場にいた人々は舌を巻きました。その後も、琵琶・横笛といった楽器をはじめ、文房具や扇・車など、あらゆる物の起源についての知識を披露し、人々を驚かせました。
 

【管絃談義をする玉藻の前と管絃談義に感嘆する公卿 】
【管絃談義をする玉藻の前と管絃談義に感嘆する公卿 】


 院は少しそら怖ろしく思いながらも、玉藻の前の美しさにひかれて、深い契りを結びました。
 ところが、院は突然病気になってしまい、原因もわからぬまま、日に日に病は重くなっていきました。
 

【病がちになる院】
【病がちになる院】


 医者の典薬頭の診断では、この病は邪気によるもので、医者が治療できるものではないとのこと。
 そこで、陰陽師の泰成を召して占わせたところ、一大事が起こるであろうから、直ちに祈祷をはじめるようにと申します。宮中は大騒ぎとなり、あちこちのお寺から偉いお坊さんたちを集めて、大がかりな祈祷をさせました。
 

【院の病の原因を占う陰陽師の安部泰成】
【院の病の原因を占う陰陽師の安部泰成】


 しかし、祈祷の効果はまったくあらわれず、院はますます重体になっていくばかりです。院は涙を流しながら、玉藻の前の手を取って、「おまえを後に残して死ぬのは心残りでならない…」と訴えます。それを聞いた玉藻の前も、「このような卑しい私が院様に親しくお仕えさせていただき、もったいなく思っておりますのに、もしものことがありましたら、どうして生きながらえることができましょう。どこまでもお供したく存じます」と答えて、泣き伏すのでした。
 祈祷の効き目もなく、お坊さんたちは少しずつ去ってしまいました。
 再び泰成を召して尋ねたところ、何か言いにくそうにしています。「憚らず申し上げよ」と言われてやっと、「院のご病気は玉藻の前のせいです。玉藻の前を遠ざければよくなられるでしょう」と進言しました。
 困った公卿たちがさらに詳しく尋ねると、何と玉藻の前の正体は、下野国那須野に住む百歳の狐だというのです。その狐は、丈は七尋(ななひろ)尾が二本。美女に化け、国王に近付いてその命を縮め、国を奪おうという魂胆なのです。
 ひそかにこのことを院に申し上げましたが、院は信用しません。その間にも、病はますます重くなります。
 泰成の提案によって、「泰山府君」という神をまつることになり、その幣取りの役が玉藻の前に命じられました。そうした卑しい役目をいったんは嫌がった玉藻の前ですが、院の病を治すための行為ならば賞賛されるだろうと大臣に説得され、引き受けました。
 さて当日、いつも以上に着飾った玉藻の前は、祭文が読み上げられる途中、さっと幣を振ったかと思うと、急に姿を消してしまいました。やはり泰成が見抜いたとおり、正体は狐だったのです。
 

【泰山府君祭に幣を取る玉藻の前】
【泰山府君祭に幣を取る玉藻の前】


 さあ、それではどうやってこの狐を退治したらよかろうかと、皆が知恵をしぼりました。人の力で化物を退治できるのかと心配する者もいましたが、弓矢の名人を集めれば大丈夫だろうと、武士たちに狐を狩らせることになりました。
 当時もっともすぐれた武士は、上総介・三浦介の二人という評判でした。院より両名に狐退治の命が下されました。身を浄めて院宣を承った二人は、この上ない名誉と奮い立ち一族郎党を集めて、我先にと駆け出しました。
 

【那須野の狐退治を命じられる上総介と三浦介】
【那須野の狐退治を命じられる上総介と三浦介】


 広々とした那須野の草を分け入っていくうちに、聞いたとおりの二尾の狐を見つけました。皆手柄を立てようと追いかけましたが、さすが神通力を得た化物だけあって、巧みに逃げられてしまいました。
 

【悠々と自由自在に逃げまわる那須野の狐】
【悠々と自由自在に逃げまわる那須野の狐】


 そこで人々は、作戦を立て武術の稽古をしてからもう一度試みることにして、いったん引き上げました。上総介は馬から落ちる鞠を射る練習をし、三浦介は犬を狐に見立てて弓矢の稽古をしました。
 

【犬を狐に見立てた狐退治の訓練に励む三浦介】
【犬を狐に見立てた狐退治の訓練に励む三浦介】


 その後、再び那須野に行って狐を狩ろうとしましたが、七日たっても成果なく、家来たちも疲れの色を隠せませんでした。上総介と三浦介は、万一この狐退治に失敗して恥をさらすようなことになれば、二度と生きて故郷に戻るまいと誓いを立て、神々に加護を祈念しました。
 すると、少しうたた寝した三浦介の夢に、二十歳ぐらいの美しい女性が現われ、「明日あなたに命を奪われるのが恨めしい、どうぞ助けてください」と、泣きながら頼むのです。夢の中できっぱり拒否した三浦介は、目が覚めると一族郎党を招集し、今日こそ射止めんと駆け出しました。
 

【三浦介の夢に現れて命乞いをする玉藻の前】
【三浦介の夢に現れて命乞いをする玉藻の前】


 朝日がさし上るのと同時に、例の狐が山へ逃げ去ろうとしています。
 三浦介は馬に鞭を当てて狐に近寄り、矢を放ちました。矢はみごと狐に命中し、狐はもんどりうって倒れました。「やったぞ!」と馬を下りて近付いてみると、噂以上のしろものです。
 すぐに狐の死骸を都へ送り届け、上総介と三浦介も上京しました。前代未聞の手柄と院も感心し、那須野で狐を獲た場面をそっくりそのまま御前で再現させ、人々も皆見物しました。
 その狐の体からは、いろいろ珍しい宝物が出てきたということです。


■ 完 ■


 この絵巻には、挿絵が本来置かれるべき位置とは異なった位置に挿入されている箇所があります。(専門用語で錯簡といいます。)ここでは本ページ作成者の判断により、正しい順番を推測して並べ替えてあります。
 例えば、第3図は絵巻では管弦談義の後に入っていますが、絵の中には楽人や楽器が描かれていないので、別の場面を描いていると考えられます。そうすると、玉藻の前の紹介の部分で、色々な難題にすらすら答えている場面ではないかと推測されるのです。
 また、研究者の意見も参考になります。川島朋子氏によれば、狩りの様子を描いた絵は、他の本の挿絵と比べると、最後に狐を退治する場面より、失敗した一度目の狩りの場面に近いそうです(「『玉藻の前』解題」京都大学国語学国文学研究室編『京都大学蔵 むろまちものがたり』10、2001年、臨川書店)。そう言われてみれば、絵の中の狐は余裕の表情を浮かべていて、なかなかつかまりそうにありませんね。
 このように、できるだけお話の流れに合うように考えて、絵の並べ方を変えてみました。ただ、このページの並べ方が本当に正しいものかどうかはわかりません。あくまでもひとつの可能性であるということをおことわりしておきます。