京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 林子平

《この作品について》


林子平 はやししへい - 江戸時代・1738-1793


 林子平は、江戸時代の経世論(政治・経済学)家です。元文3年(1738)に生まれました。仙台藩藩医であった兄嘉善の元に身を寄せ、徂徠学派の畠中多沖らと親交を結びます。蝦夷、長崎、江戸など各地に行って見聞を広め、特に外国に関する知識を得ます。
 天明6年(1786)、『三国通覧図説』を出します。これは、朝鮮、琉球、蝦夷の三国の地理を図示、解説したものです。軍事上において、近隣国の地理を知ることの重要性を説いています。さらに、『海国兵談』(天明7年(1787)~寛政3年(1791))を仙台で自費出版します。本書では、日本が海に囲まれた国であることから、人々に警鐘を鳴らし、海防の必要性を述べたものです。これが、寛政の改革にともなう、出版物取締令に触れ、『三国通覧図説』『海国兵談』ともに、発売禁止となり、板木も取り上げられました。
 さらに、子平は、仙台の兄の元で蟄居を命じられます。その時の心境を「親も無し妻無し子無し板木無し金も無けれど死にたくも無し」と嘆き、自ら六無斎と号したといわれています。ほどなくして、寛政5年(1793)、56 歳で、子平はその生涯を閉じました。
 のちに子平は、儒学者・蒲生君平や、尊王思想家で尊号事件に抗議して自刃した高山彦九郎と並んで、「寛政の三奇人」と呼ばれました。

 

『阿蘭陀船図説』(一般貴重書)
『阿蘭陀船図説』(一般貴重書)
長崎に渡来したオランダ船を描いたもの


《画像&資料について》

 上の画像は林子平の『阿蘭陀船図説』です。
 長崎に渡来したオランダ船を詳細に描き、色刷りしたものです。詞書には、オランダの地理や、オランダ人の衣装、食生活、日本に渡来したオランダ船の詳細、乗組員の名前などが記されています。末尾に「寛政2年記」とあります。子平は、『海国兵談』版行の資金を調達するために、長崎版画の版元から、この一枚刷りを出したといわれています。

●[阿蘭陀船図説・一般貴重書]


《もっと知りたい》

【関連書籍】
林子平その人と思想 / 平重道著(宝文堂, 仙台藩の歴史 ; 4)
海國兵談 / 林子平述 ; 村岡典嗣校訂(岩波文庫)
日本渡海阿蘭陀船記録他(長崎純心大学長崎学研究所 ; 第3輯 . 長崎・オランダ関係資料)

 

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