賊去砲臺草將生 朔風闌夜送鬼聲 三千侯伯今如奈 月照關西男子營 この詩は慶應二年八月四境戰の時、安藝の陣中に於ける所作で、幕軍を破つた長州男兒の意氣軒昂たるを詠じたものである。此頃長軍は藝藩との提携成らんとして、待機の態勢を採つてゐたのである。山田顯義、通稱市之亟、號空齋。松下村塾に學び最も用兵に長じた。戊辰の役に藩兵を率ゐて東北に轉戰して偉功を樹てたが、兵を用ふる神の如きものがあつた。西南の役にも各地に戰つて毎に奇功を奏した。後陸軍中將に進み、更に内務卿・司法大臣・樞密顧問等に歴任して、文勲高く伯爵を授けられた。明治二十五年十一月生野に薨去す。年四十九。(出典:『尊攘遺芳』)