京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 菅家文草

《この作品について》


菅家文草 かんけぶんそう - 平安時代前期・900年


 菅原道真 (845-903) は、平安時代前期の人で、学者でもあり、政治家でもあり、かつ文学家でもあった人です。
 代々学者である菅原家に生まれた道真は、11 歳で漢詩を作るなど、幼い頃からその才能を発揮しました。学者としても政治家としても重職に登用・抜擢され、醍醐天皇のもとでは右大臣にまで出世しました。が、当時としては異常な出世ぶりに反感を買うことも多く、早くからいろいろな嫌がらせを受けていたようです。ついには左大臣・藤原時平の策略によって、九州・大宰府に左遷されてしまいました (901年) 。道真は、配所の大宰府にて、失意のうちに亡くなりました (903年)。
 菅家文草は、菅原道真が醍醐天皇に依頼されて編纂(900 年) した、自作の漢詩文集です。道真若年期から編集当時までの漢詩文が 600 作品ほどおさめららています。特に白居易『白氏文集』の影響が大きく、多くの語句・表現が引用されています。その引用の巧みさと流れるように麗しさは、後々までの漢詩文学の手本となりました。そして、この道真の集大成ともいえる菅家文草の編纂直後、道真は左遷されてしまうのです。後に編纂された『菅家後集』には、大宰府で詠まれた道真の漢詩文が集められており、左遷先での哀しみ・感傷・望郷の想いが描かれています。
 道真の文学・学問の才能は後世まで称えられました。現在でも、全国各地の天満宮に "学問の神様" "天神様" としてまつられ、親しまれています。

 

菅家文草(平松文庫) 巻4冒頭。
菅家文草(平松文庫) 巻 4 冒頭。
讃岐赴任時代の道真の詩で、いったん京へ戻ったのち再び讃岐へ向かう、その途中の想いを述べたもの。



《画像&資料について》

 上の画像は、平松文庫におさめられている菅家文草巻 4 の写本です。巻 4 には、道真が讃岐に赴任していた時代の漢詩文が収録されています。

●[菅家文草 存巻4・平松文庫]

 

《もっと知りたい》

【関連書籍】
王朝漢詩選 / 小島憲之編 (岩波文庫)
菅家文草 ; 菅家後集 / 川口久雄校注 (日本古典文學大系 ; 72)

【Web】
山陰亭

 

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