今昔物語集(鈴鹿本)
今昔物語集(鈴鹿本)

『今昔物語集』はわが国最大規模の説話集である。

その内容は日本だけにとどまらず、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の三部にわかれ、これはすなわち当時の日本人が思い描くことのできた全世界に及ぶ超大作である。

完結していれば三十一巻(現存伝本では二十八巻)、説話総数一千以上という量もさることながら、そこに記録された世界は社会の各層にも及んでおり、歴史学、民俗学、宗教学、地理学、思想史など、研究対象としての価値は単なる一文学作品にとどまらぬはかりしれないものを含んでいる。

『今昔物語集』は撰者、成立年等について、表示はもとより、序跋や奥書もなく、現在も未詳のままである。

撰者については、従来源隆国説が流布していたが、現在では否定されている。源隆国説は、『宇治拾遺物語』の序文中に散佚『宇治大納言物語』が引かれたことが発端となり、さらに井澤長秀(蟠龍)が『考訂今昔物語』の序文において『宇治大納言物語』と『今昔物語集』を同一視し、隆国の系図まで掲げて撰者としたてたことに由来する。南都北嶺の僧侶説、白河院に近侍する僧侶説等考えられているが真の撰者はわかっていない。

成立の上限については、記載された説話の中の実在の登場人物や事件、先行作品との関係等により、保安元(一一二○)年頃と推定されている。下限については未だ確証を得るものがない。

全体の構成は天竺の部が巻一~五、震旦の部が巻六~十、本朝の部は巻十一~三十一の三十一巻から成り、各々その内容は仏教説話といわゆる世俗説話に分けられる。天竺部は仏の生誕から始まり入滅、さらに入滅後譚、世俗譚を、震旦部は仏教伝来から霊験譚、世俗譚を、本朝部も同じく仏教伝来から始まり世俗譚に終る。

収録説話の数は本文の完備しているものだけでも一千二十にも及び、質量ともにスケールの大きな作品であるが、成立当初から未完であったとみられる。巻八、十八、二十一は祖本とされる鈴鹿本をはじめ、他のどの伝写本にも残っていない。また、欠文、欠字の部分のあり様は伝写の過程で欠落したのではなく、もともと空白であったものが転写され、今日に伝えられたと考えられている。

一話はおおむね「今昔」で始まって「トナム語リ伝ヘタルトヤ」で終り、二つあるいは三つの類似した説話が一組となって並べられている。

なお、『今昔物語集』は内包する多様性、迫力ある描写、等々さまざまな魅力をもつ作品であるにもかかわらず、その名が後行現存の文献中に登場するのは室町時代の僧・大乗院経覚の日記『経覚私要鈔』宝徳元(一四四九)年七月四日の条「四日、霽、夕立、今昔物語七帖返遣貞兼僧正畢、・・・」が初めてである。中世を通して他に現われず、次に出てくるのは近世初期ともいえる『多聞院日記』の天正一一(一五八三)年十一月八日条「・・・今昔物語十五帖大門ニ在之 南井坊ヘ返遣了」となる。古本系といえども伝写本のほとんどが近世以降のものであることを考え合わせると『今昔物語集』は鈴鹿本が中世初期に書写されてのち長い眠りについていたと考えられる。

(解説;古川千佳)

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