「幕府之部」は、江戸幕府京都大工頭の中井家に伝わった「中井家絵図・書類」のうち、江戸幕府京都所司代や京都守護職などに関係する図面です。
その中のひとつ『慶応元丑年八月 守護職御役宅上屋舗出来形絵図 但四分計』は、京都守護職の上屋敷全図で、間取りや仕様が綿密に書き込まれており、幕末の状況を今に伝える貴重な資料です。京都守護職は、幕府が京都の治安維持のため文久2(1862)年に設置した役職で、会津藩主松平容保(1836-1893)が就任しました。就任当初は東山の金戒光明寺を本陣としていましたが、文久3(1863)年に上屋敷の造営を開始し、慶應元(1865)年に完成しました。東は新町通、西は西洞院通、南は下立売通、北は下長者町通までを占め、敷地の東西南北には藩兵が待機する長屋がありました。慶応3(1868)年、大政奉還のおよそ2か月後の王政復古の大号令により、京都守護職は廃止されました。
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