Record ID
RB00014056
Language
日本語
Title in kana
マツモト ケンザブロウクン ヨシノ シ
Alternative title
ローマ字タイトル: Matsumoto Kenzaburō-kun yoshino shi
英語タイトル: Verse in Chinese-style
Author
松本奎堂自筆
See For
松本, 奎堂||マツモト, ケイドウ||Matsumoto, Keidō
Num. of books
1
Physical form
写 軸物(紙本・裂装)・箱入
106×57cm
Type
写
Description
松本奎堂は三河国刈谷藩士の家に生まれた。嘉永5年(1852) 江戸に出て、昌平校に学び、碩学鴻儒と交遊して、詩文の名声も次第に高くなった。安政6年(1859) 名古屋に出て塾を開いたが、文久元年(1861) には大坂へ移り松林飯山、岡鹿門とともに雙松岡學舎を創った。しかし、詩文に耽溺することを潔しとせず、志を国事に思い致して京都に上り、文久3年(1863) 大和行幸の詔仰が出されると、天誅組の義挙を企て、藤本鐵石、吉村寅太郎と並んで総裁職に推された。しかし、諸藩の追討軍との争闘の中で33才で落命した。この詩は、「芳野懐古」と題されているとおり、建武中興・吉野時代の往事に思いを馳せて、勤皇の精神を叙したものである。天誅組の同志達は、京都から五条(奈良) を目指す南行の途次、観心寺の楠木正成の墓前で義挙の盟約を固めたということである。「満山櫻樹映春晴 想見六師會列營 / 日月争光兩天子 衣冠正位幾公卿 / 鸞與不返烏頭白 戎馬無休魚尾□ / 欲問當年南狩事 落花風外響華鯨 / 芳野懐古 奎堂衡」
MATSUMOTO KEIDO(1831-1863) wrote this letter at the memory of Kenmu Restration(1333-1336) which ruled by GODAIGO Emperor.
Note
吉田松陰とその同志展
維新DBリスト: 未展示品4
「芳野懐古」
Call No
尊/軸208/貴
Registration No
1799413
List No
未展示品4
Guide for Content Reuse
Attribution
京都大学附属図書館 Main Library, Kyoto University
Collection
Subcollection
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