Record ID
RB00014078
Language
日本語
Title in kana
ムラタ セイフウ ノ ショ
Alternative title
ローマ字タイトル: Murata Seifū no sho
英語タイトル: Scroll of calligraphy
Author
村田清風筆
See For
村田, 清風||ムラタ, セイフウ||Murata, Seifū
Num. of books
1
Physical form
写 軸物(紙本・裂装)・箱入
137×59cm
Type
写
Description
村田清風は、天明3年(1783) 4月26日生まれの長州藩士である。文化5年(1808) に初めて藩主毛利齊房に仕えてから敬親に至るまで5代の藩士に仕えた。安政2年(1855) に没するまで約50年間にわたって、藩政の枢機に参画しており、長州の大政治家といっても過言ではない。財政、兵制、学制等、万般にわたって大改革を施し、大きな成果をあげた。藩主の信任も篤く、藩力も著しく伸張した。幕末にあって、幾度か藩の危機に直面しながらも、これを克服し、大義を主唱して国事に鞅掌し、維新の盛挙において赫々たる事績を残すことができたのも、清風の遠慮達識に挨つ点大なものがある。この書は、論語の学而篇の句であり、文教の事に深く留意した清風の事績と思わせる。藩校明倫館の振興を図り、天保12年(1841) には、江戸桜田邸内に有備館を創って文武修業の場とし、郷里の私邸を尊聖堂と称して開放し、師弟の訓育に大いに貢献したのである。「弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆、而親仁、行有餘力、則以學文 / 源清風敬書」
MURATA SEIFU(1877-1855), a great polititian in Choshu domain, transcribed a part of the Analects of Confucius. He had a big concern for education, and made effort to Meirin-kan, a domain school of Choshu.
Note
吉田松陰とその同志展
維新DBリスト:未展示品6
「弟子入則孝云々」(論語学而篇の句)
Call No
尊/軸197/貴
Registration No
1799389
List No
未展示品6
Guide for Content Reuse
Attribution
京都大学附属図書館 Main Library, Kyoto University
Collection
Subcollection
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