レコードID
RB00020548
出版年
1834
別タイトル
1834년 한필교(韓弼教) 준호구(準戸口)
著者
韓弼教
参照形
韓, 弼教||한, 필교
冊数
1
形態・版情報
1枚 ; 109.4×69.3cm
写刊の別
写
注記
文書
1834年(道光14、純祖34)、漢城府西部皇華坊聚賢洞契(現在のソウル市中区西小門洞)第13統第2戸に居住する進士の韓弼教(28歳、本貫は清州)に対し、漢城府が発給した準戸口(戸籍証明書)。前回の戸口調査の式年である1831年(辛卯)の例にならって発給された。家族は母の陰城朴氏(67歳)、妻の豊山洪氏(29歳)、伯嫂(兄嫁)の完山李氏(48歳)、侄婦(甥の嫁)の陰城朴氏(28歳)。本人と母、妻の四祖(父、祖父、曽祖父、外祖父)の名前と官職名、身分を記載。ただし母の四祖が記載されているため、本人の外祖父は省略されている。通常の準戸口では母の四祖は記載されないので、例外である。他に秩奴の岩回、虎狼の2名、婢の福徳、六月、忠禮、者斤禮、莫金、完任、銀任(<RB00020549>「1834年、韓弼教準戸口」の恩任と同じ)、五木の8名がおり、さらに逃亡奴婢の秩奴判老味、壽喆、婢の世毎、忠分が記載されている。韓弼教は、この年に行われた成均館進士試(前年の秋に初試、この年の春に覆試があり、京畿道の初試は都で行われたので、試験場は共に都であった)に合格し、母と妻、奴の岩回(巖回)、婢の福徳、完任、銀任(恩任)を連れて、水原から漢城府に転居したのであろう。新たに家族となった兄嫁の完山李氏、甥の嫁の陰城朴氏は、おそらく寡婦で、この皇華坊聚賢洞契の家は、あるいは韓弼教の亡兄の家であったかもしれない。甥がもし兄の子であるなら、その妻が母と同族の陰城朴氏である点から見て、亡兄と韓弼教は異母兄弟であろう。なお妻の父の洪奭周は、この年、吏曹判書(前年までは戸曹判書)として漢城府に住んでいたはずである。<RB00020549>「1834年、韓弼教準戸口」参照。また準戸口については、解説〈南原梁氏の準戸口(戸籍証明書)について〉参照。
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請求記号
河合文庫//428
登録番号
200048
作成年度
2017
リストNO
428
所蔵
京都大学附属図書館 Main Library, Kyoto University
コレクション
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