レコードID
RB00020549
出版年
1834
別タイトル
1834년 한필교(韓弼教) 준호구(準戸口)
著者
韓弼教
参照形
韓, 弼教||한, 필교
冊数
1
形態・版情報
1枚 ; 125.2×91.5cm
写刊の別
写
注記
文書
1834年(道光14、純祖34)、水原府荊石面(京畿道水原市)第78統第5戸に居住する幼學(科挙を受験する儒生の通称)の韓弼教(28歳、本貫は清州)に対し、水原府が発給した準戸口(戸籍証明書)。前回の戸口調査の式年である1831年(辛卯)の例にならって発給された。家族は母の陰城朴氏(67歳)、妻の豊山洪氏(29歳)、従子(甥)の箕錫(19歳)。本人と母、妻の四祖(父、祖父、曽祖父、外祖父)の名前と官職名、身分を記載。ただし母の四祖が記載されているため、本人の外祖父は省略されている。通常の準戸口では母の四祖は記載されないので、例外である。他に、奴の巖回、婢の福徳、恩任(<RB00020548>「1834年韓弼教準戸口」の銀任と同じ)、完任がいる。韓弼教(1807~1878)は、字は輔卿、号は霞石、英祖時代の大司憲、韓顯謨の子孫。この年に成均館進士試(小試)に合格し、1837年(憲宗3)に穆陵參奉として官途に就き、1839年、進賀使の書状官として清に使いした。最終職は工曹参判、『霞石遺稿』6巻がある。また韓弼教の子、韓章錫(1832~1894)は、1872年の庭試文科に合格し、礼曹、刑曹、吏曹の判書、京畿道観察使などを歴任、文章家として有名で、文集に『眉山集』があり、死後、孝文また文簡と追諡された。孫の韓光洙(1858~?)は1876年に進士科、1880年に増広文科に及第し、成均館大司成、吏曹参議などを歴任した(『韓国民族文化大百科事典』、ただし同事典では韓弼教の父の名を元屐とするが、ここでは元履である)。また妻の父、洪奭周(1774~1842)は、この年の1月に戸曹判書から吏曹判書となり、その後、左議政に昇進した高官である。本準戸口では、洪奭周の官職が戸曹判書となっているので、実際には前年に作成されたであろう。<RB00020548>「1834年、韓弼教準戸口」参照。また準戸口については、解説〈南原梁氏の準戸口(戸籍証明書)について〉参照。
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請求記号
河合文庫//429
登録番号
200048
作成年度
2017
リストNO
429
所蔵
京都大学附属図書館 Main Library, Kyoto University
コレクション
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