京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 武蔵坊弁慶

《この作品について》


武蔵坊弁慶 むさしぼうべんけい - 平安時代末期


 武蔵坊弁慶は、源義経の臣として伝えられていますが、実在の人物かどうかは不明です。しかし、彼の説話や伝承は日本の各地に残され、室町時代ごろから、物語草子や謡曲の中で語られてきました。様々な伝説がある中で、『義経記』の弁慶説話は有名です。弁慶は鬼神の子といわれ、比叡山に預けられますが、乱暴を働き追放されます。山を降りるときに自ら剃髪し、弁慶と名乗りました。その後、播磨の書写山でも追放された弁慶は、京都で千本の太刀を奪おうと考え、道行く人を襲いますが、あと一本という時、義経に出会い、屈して義経の臣となります。弁慶は義経の忠実な部下として活躍し、数々の苦難を救い、衣川の合戦で、敵の矢を受けながら立ったまま死んだという話になっています。このような話が、江戸時代には、浄瑠璃や歌舞伎などに取り入れられ、弁慶伝説は人々に広く知られて行きました。

 

弁慶物語(一般貴重書(和)・奈良絵本)より
弁慶物語(一般貴重書・奈良絵本)より
初めて義経と会った後の弁慶の様子。北野天満宮にて。



《画像&資料について》

 上の画像は、『弁慶物語』と題された奈良絵本です。奈良絵本は、室町時代末期から江戸時代前期に作られた写本です。奈良絵と呼ばれる彩色された素朴な挿絵をもち、金箔や金泥などが使われていることが特徴です。この『弁慶物語』は、後半のみで、前半を欠いています。『義経記』の話とは少々異なり、義経と弁慶が平家打倒の決意を固め、奥州へ出発するところで終わっています。画像の弁慶の顔は、薄墨色に塗られています。これは、弁慶の肌が黒かったという伝承に基づいたものでしょう。しかし、義経の臣となった後の弁慶の顔は、肌色に塗られています。悪から善への変化を表していると考えられます。なお、この挿絵では、弁慶が七つの武器を持っています。これは、「弁慶の七つ道具」といわれ、弁慶に関する有名な伝説の一つです。また、京都大学国語学国文学研究室頴原文庫には、江戸時代初期の刊本『弁慶物語』が所蔵されています。
●[弁慶物語・一般貴重書]
●[弁慶物語・文学研究科(頴原文庫)]

 

《もっと知りたい》

【関連書籍】
弁慶物語(室町物語集 (新日本古典文学大系, 岩波書店))
義経伝説をゆく : 京から奥州へ / 京都新聞出版センター編
弁慶 : 英雄づくりの心性史 / 藤原成一著

【Web】
京都大学貴重資料デジタルアーカイブ_挿絵とあらすじで楽しむお伽草子 第13話 弁慶物語
義経デジタル文庫
田辺の偉人・武蔵坊弁慶

 

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