レコードID
RB00014052
言語
日本語
タイトルヨミ
マスダ ウエモンノスケ ノ ショ
別タイトル
ローマ字タイトル: Masuda Uemonnosuke no sho
英語タイトル: Scroll of calligraphy
著者
益田右衛門介筆
参照形
益田, 右衛門介||マスダ, ウエモンノスケ||Masuda, Uemonnosuke
冊数
1
形態・版情報
写 軸物(紙本・裂装)・箱入
117×9cm
写刊の別
写
内容記述
この書の作者益田右衛門介は天保4年(1833) 9月生まれで、長州藩家老を努めた人である。当初藩校明倫館に学んだが、嘉永2年(1849) 吉田松陰に師事した。国事多難なこの時代家老の重職にあって、藩政の枢機に与り、藩主毛利敬親を補佐し、尊攘の大義に尽力した。志士に対しては、常に庇護する立場に立った。元治元年(1864) 7月の長州藩兵の大挙上京に際し、慰撫の命を受けて上京したが、禁門の変が勃発し、国司信濃、福原越後両家老と共に兵を率いて奮戦したが、敗走し、帰藩した。第一回征長の役が起った11月12日禁門の変にかかわった三家老が自刃して責任をとることで藩の危機を救うことになった。右衛門介32才の時である。この書は尊攘運動のため、自藩のためなら、自分の命は軽いものだとしてこれを犠牲にする覚悟の程を示したものであろうか。「萬山不重君命重 一塵不軽吾命軽」
MASUDA UEMONNOSUKE(1833-1863), a principal retainer of the Choshu domain, wrote these words when he was order to commit harakiri in response to Kinmon Incident. He expressed that he could die for "Sonno joi" movement and for his domain. He was just 32 years old at that time.
注記
吉田松陰とその同志展
維新DBリスト: 未展示品5
「萬山不重君命重 一塵不軽吾命軽」
請求記号
尊/軸58/貴
登録番号
1799261
リストNO
未展示品5
所蔵
京都大学附属図書館 Main Library, Kyoto University
コレクション
サブコレクション
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