レコードID
RB00014110
言語
日本語
出版年
1858
タイトルヨミ
ヨシダ ショウイン ショジョウ
別タイトル
ローマ字タイトル: Yoshida Shōin shojō
外題:松陰先生書三葉||ショウイン センセイ ショ サンヨウ||Shōin Sensei sho san'yō
英語タイトル: Letters to Shinagawa Yajiro and other friends
著者
吉田松陰自筆
参照形
吉田, 松陰||ヨシダ, ショウイン||Yoshida, Shōin
冊数
1
出版年(和暦)
安政5年写
形態・版情報
写 軸物(紙本・裂装)・箱入
69×29cm
写刊の別
写
内容記述
日孜字思父説: 名字をつけてほしいと頼んだ品川彌二郎の求めに応じて、安政5年(1858)12月19日、名は日孜、字は思父とすべし、としたもので、その典拠と意味を説明したもの。孜は勤勉の意(上段)。「先是彌治從余学、問余以名字、余曰、日孜思父爲可、而未有其説也、彌治年甫成童、及来見余、其容色温直敦朴、余一見異之、已年餘、無有卓々可稱者、而其中汪然自與人不同矣、余益愛之、然余猶謂彌治以人物勝、而學問不稱、故及其問名字也、以是應之矣、夫予思日孜々者、大禹之言也、思者知也、孜々者行也、知而行、行而知、日之者非一日也、學欲師聖人者、其得不三致思焉哉、晉陶士行有言、大禹聖人乃惜寸陰、其亦謂此也歟、今茲臘月五日余蒙下獄之命、彌治與同學七人詣政府請罪名、遂坐囚于家、囚居無事、蓋進於學矣、今因走此説誘之曰、爾彌治々、當今天下之事、有眼者皆見而知之、吾黨爲任甚重、立志宣大、不可區々而自足、假令大禹不可企、其亦爲陶士行乎、嗚呼、其所本者學而巳、勉哉日孜、念哉思父、是爲説、安政戊午十二月仲九、松陰藤寅撰」
書状: 同年12月20日、日孜思父説を補い、読書の大事であることを説いたもの。品川彌二郎(天保14年生)は長州藩士、15歳で吉田松陰の門に入る(中段)。「弥治足下、幽囚何状、家嚴疫疾未平、僕是以未能赴獄、僕看護鬱陶、時復観書、古人面目、千歳如新、不似今世人乏朝雲暮雨、所囑名字説、偸間僅成三百言、而無咎至、且讀且談、頗覚適意、説中所引大禹陶士行、今世人必以為大言夸語也、但学人之志、要貴于不自画焉耳、足下幸悟此意、昨讀漢宣紀、孝武廟樂事、夏候長公議詔書不可用也、且曰、議巳出口、雖死不悔、長公坐是下獄、夫長公之下獄、以非詔書毀先帝也、今吾黨奉天勅戴公旨、徒觸姦權之鋒、以至于此、不逮長公遠矣、足下以為何如、五七日後、家嚴疾平、僕乃赴獄、而足下諸人幽囚、亦從釈放耳、當相誓讀書、益求及古人也、無咎將往訪、書所不盡、萬在口述、不一、廿日寅白 / 彌治 足下」
漢詩: (下段左)は、「重夢北山君安世」(己未文稿)。北山安世は佐久間象山の甥で松代藩士。嘉永6年(1853)の吉田松陰の江戸遊学に交遊が結ばれた。(出典:平成6年度京都大学附属図書館公開展示会図録『吉田松陰とその同志』)
19th of December in 1858, SHINAGAWA YAJIRO (1843-1900) wanted SHOIN to give him a name. In this letter, SHOIN noted the meaning of the name, and recommended him to study harder.
注記
吉田松陰とその同志展
維新DBリスト: 展示品4
「日孜字思父説」他1通(品川弥二郎宛)、漢詩(書憤二首他)
請求記号
尊/軸65/貴
登録番号
1799268
リストNO
展示品4
所蔵
京都大学附属図書館 Main Library, Kyoto University
コレクション
サブコレクション
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