京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 天正遣欧使節

《この作品について》


天正遣欧使節 てんしょうけんおうしせつ - 1582~1590


 戦国時代から安土桃山時代にかけて、主に西日本の大名たちの中にキリスト教に入信する者があらわれました。彼らは "キリシタン大名" と呼ばれています。
 1582 (天正10) 年、九州のキリシタン大名である大友宗麟、有馬晴信、大村純忠によって、4 人の少年がヨーロッパのローマ教皇のもとに派遣されました。彼らは "天正遣欧使節" と呼ばれています。(伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ)派遣の目的は、日本でのキリスト教布教の支援を教皇から得ること、かつ、日本での布教実績を教皇にアピールすることでした。
 彼らは 1582 年 2 月に長崎を出航、約3年間の巡航の末、1585 年 3 月にローマに到着しました。当時のローマ教皇・グレゴリウス 13 世やスペイン国王に謁見するなど、ヨーロッパ各地で歓待を受けました。彼らに関する出版物も多数発行されています。また、彼らはキリスト教についてばかりでなく、西洋音楽や印刷技術も学んだようです。
 1590 年、帰国した彼らを待っていたのは、豊臣秀吉による伴天連追放令 (1587) という厳しい現実だったのでした。
 日本での布教が禁止されたキリスト教は、その後日の目を見ることはありませんでしたが、彼らが持ち帰った西洋式活版印刷機と印刷技術は、「日葡辞書」「伊曽保物語」のような "キリシタン版" と呼ばれる出版物など、日本における印刷文化に大きく貢献しています。

 

天正遣欧使節の肖像画 "Newe Zeyttung auss der Insel Japonien"(1586年)。
天正遣欧使節の肖像画 "Newe Zeyttung auss der Insel Japonien" (1586年)。
右上・伊東マンショ、右下・千々石ミゲル、左上・中浦ジュリアン、左下・原マルチノ。中央は案内兼通訳のメスキータ神父。


 
《画像&資料について》

 上の画像は、1586 年にドイツのアウグスブルグで印刷された、天正遣欧使節の肖像画です。"Newe Zeyttung auss der Insel Japonien"(日本島からのニュース)と題されたこの肖像画には、使節団のメンバー 4 人と案内兼通訳のメスキータ神父が描かれています。

●[Newe Zeyttung auss der Insel Japonien:天正遣欧使節肖像画]


《もっと知りたい》

【関連書籍】
天正遣欧使節 / 松田毅一 (講談社学術文庫)
活版印刷人ドラードの生涯 : リスボン→長崎 天正遣欧使節の活版印刷 / 青山敦夫

 

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